クリニャンクールの蚤の市

 地下鉄に乗って、いよいよパリ最大の蚤の市、クリニャンクールへ。
 大雨の中、2500店舗見て回った。とはいえバケーションシーズンで大雨で、市ごと閉まってるところまであったので、半分もやってなかったかもしれない。
 クリニャンクールは10以上の市に分かれているが、カラーがかなり異なる印象。

(1)ヴェルネゾン:蚤の市発祥の地。本格骨董から、チープなものまで。買えそうな店も多くとっつきやすい。有名な壁一面キーホルダーの店、昔のカラフルなプラスチックのアクセサリーの店…(手芸やビーズの店はほとんど閉まっていたようですorz)…一番感動したのは、大きな壁面いっぱいにおもちゃを壁紙の模様のように飾り付けてあったお店。右半分がピンクと水色、左半分をレモン色と水色と絶妙。

 ここで一つ失敗に気づく。今回の旅、スリ対策で現金をあまり用意しなかったが、価格の低い商品ではカードが使えない。そこで安い店では買えない、高そうな店の方が入りやすいという逆転状態になってしまった。


(2)メラシ:17世紀から20世紀のアンティークと装飾。ショッピングセンター風で一番風情がない。そんな環境の中だと超高級骨董に超洗練された装飾も「ふーん」って感じ。雨宿りには最適。


(3)ドフィーン:紙ものがいっぱい。手書き時代のヴォーグとか見つかりそうな雰囲気。小さいポスターが気に入って値札を観ると130ユーロ!(14000円)。多分、原本だったのだろう。荒俣宏さんがこの辺の古書に身をやつして1億円つぎ込んだって話を身近に感じる。


(4)ビロン:超高級骨董店が長さ300mに渡って続くのを見て、雨と疲労と空腹で一旦リタイア。


 意を決して、サンドイッチと書いてある食堂に入ってみる。フランス語しかしゃべれない頑固なおやっさんの店でしたが、本通りの会話でなんとか食事できました。安心したのはおやっさんも同じだったようで最後はオチャメな感じでした。まあ、日本の田舎の食堂に日本語が少ししか分からないガイジンさんが迷い込んだようなもんだもんな・・・。
 サンドイッチはハムとチーズとバターをはさんだのみだけど、素材1こずつがおいしかった。ただ、量が倍あった。2個目はにこやかに食べるのに苦労した。


(5)ポールヴェート:家具が多し。

 「les Merveilles de Babellou」なるアンティークブティック(1号店・2号店)。映画の女優が着ていそうな年代物のブランドドレスてんこもりで、博物館の域。触るのがはばかられるくらい素敵だった。あと店員がハンサム。ハンドバッグを買った。


 店の主人が売り物の豪華絢爛なソファーで、買いたてのお総菜を食べたり、エスプレッソを飲んだり、本を読んだり、近所の店で集まっておしゃべりしたり、リラックスしまくってるのが面白い。
 パリの個人店舗が2割ぐらいしか開いていないこのシーズンに、蚤の市の店が開いている率が高いのは、彼らにとって自分の店が、世界で一番居こごちのいい空間だからかも、と思った。


 住宅地を歩いて大通りに出たはずが、いきなり発展途上国の市場に近い雰囲気の一画にでてしまってびっくりする。ヒップホップやR&Bがけたたましく鳴り、イスラム系と黒人の人の店ばかり。「チャイ! チャイ!」「ニーハオ!」と声をかけられてビビる。特に、絶対通らなくてはいけない高架橋の下は、雨から非難してきた人や、濡れた洋服の山で、人一人しか通れない上に、そこにパチもん屋が観光客狙って攻勢をかけてきて大変恐ろしい。
 そこで、歩いてきた白人の女の人(ここで白人以外の人に声って…かけれないものなんだなあ…白人だから安心ってわけでもないのに)に道を聞くと、どうやら、ここも蚤の市らしい。
 クリニャンクールに限らず蚤の市は、元々、パリの市街整理の時に追い出された露店骨董商が門の外に始めたものだから、パリの20区外にある。つまり、移民の多い、犯罪率も高めの郊外のまっただ中にある、と。
 そのあたりの公共住宅を見ると、いかにも古き良きヨーロッパ風のデザインだけども、ところどころゴミのはみ出している家があったりして、住んでいる人もカラードが多い。
 超高級洗練された骨董の世界にいるのはほとんど白人(+観光客)なことを考えると、複雑な気持ちになってくる。


 クリニャンクールの入り口に戻り、(4)ビロンをざっと見る。

主無き店(度胸が無くて主有る店は録れませんでした)


(6)レ・パッセージ
 今度は迷わないように、と「パリのルール」を片手に持ちながら歩いていると、「あ、日本人の方?」「その本いいですよね」と声をかけられる。
 古本屋の店番をしていたその女の人は、元々パリの製本学校に通っていて、日本に帰る前になるべく本物の装丁を見ておこうとここに通い詰めていたら、店の主人であるだんなさんにつかまったそう。その古本屋は、半分野外といえども、映画制作のために100m古本を貸し出すくらい本格派だとか。
 いろんな装丁を見せてもらう。一番気に入ったのは、羊皮紙に手書きで詩が書かれた表紙の本。革の古び具合といい、文字のかすれ具合といい、素晴らしかった。80ユーロ(9000円ぐらい)と現金の持ち合わせが寂しい身には買えなかったが、彼女は「旅は倹約と健康が一番!」と言ってくれた(後でこのことを思い知ることとなる…とふってみる)。


 さて、彼女に「移民の人の市を通った後で高級骨董市を通ると複雑な気持ちだ」と話すと、「そうだね…」「でも、これはこれで存在意義はあると思う」「『この時代の薄張りグラスが欲しい』と思った時とか、ここで揃わないものはない」「お客さんも目が肥えてる。ランボーを描いた有名なリトグラフがこの店に入ったときには、そんなに高くないので常連のおじさんが疑って、虫眼鏡片手に自分で鑑定して、本物だって言って買ってった」

 
 この問題は正しくは人種の問題じゃない。後日ルーブル美術館フェルメール天文学者に心底うっとりしている黒人の方がいたし。
 経済的にある程度余裕がないと、そういう文化の情報に接する機会すらないということを目の当たりにしてびっくりしただけだ。
 ニールヤングの「rock'in the free world」の世界の人は骨董どころじゃないし、青山二郎が貧乏だったらあの感性も発揮されなかっただろう。


 彼女とは「また来年」と言って別れた。
 しょっぱなから濃い一日でした。