ならずものがやってくる ジェニファー・イーガン 谷崎由依訳

 過去、現在、未来にまたがる群像劇。

 思春期に親友が男に取られるのを間近で見続ける痛さ。思索家で気遣いのできるいい子があっけなく亡くなる理不尽さ。独裁者に堂々と立ち向かう元女優の爽快さ。保守コミュニティを凛と生き抜くマイノリティの子どもや母親。

 それでも死にさえしなければやり直しが効く。死んだとしても、生者の中で何度も思い起こされ色濃く生きている(それこそ忘れ去られた知人以上に)。全くその通りだ。

 PTAのマグノリアのように大団円のようなものを迎える群像劇なのだけれども、PT.Aの登場人物は、一人の人の激情のベクトルの方向が逸れず、ある意味単調、でも単調さを上回る笑えるほどの執拗さがその壁を乗り越えていく特殊な(でも実在感のある)人物という感じ。
ジェニファー・イーガンの登場人物は、一人の人(例えばサーシャ)が時代時代によって様々なベクトルを見せる。それがより身近で、生々しい。

 自分達はこんなに破滅的にはならないなあとほっとしたり、このまま田舎らしいサイクルに何十年か巻き込まれた自分ってのを想像して耐えられるのかと想像したり…とにかく物語と一緒に、自分と周りの人々ももならずもの(時の流れ)にガッと襲われ、現在こういう状態にあり、そしてこれから何十年とならずものに飲み込まれていくのだということが見えて、時折空恐ろしさを感じずにはいられなかった。

 ロックファンは「親子共通の趣味がパールジャムとか暗っ」とか、ちょっとプラスαで楽しめる。