再放送を見てビックリしたのは、ドラマ中で意志も覚悟もないとされる葛山武八郎ですら、切腹からは逃げないことです。意志も覚悟もないとされる、軟弱であるとされる人物でも、切腹をすることができるのです。
 自分から腹を切れるような覚悟と、遺体をなで声上げて泣くような感受性(in明保野亭事件)が両立する武士道って・・・想像することすらかなわない気がします。
 土方について、繰り返しになりますが、

薩南示現流の使い手、指宿藤次郎と前田某が見回組と遭遇。前田は逃げた。指宿は5人の敵を倒すも転倒、殺された。
指宿の葬儀にて、指宿の親友の橋口覚之進は、棺の蓋を開けたままにさせておいた。前田に言う。「おはんが一番焼香じゃ。さきぃ拝め。」。ただならぬ気配。前田はブルブル焼香し、橋口の死体にうなだれた。瞬間、橋口は腰刀を抜き、一刀のもとに首を切った。首はゴロンと棺の中。「こいでよか。蓋をせい。」(以上要約)

この葬儀の場合は、葬儀というより一種の儀式で、参列者は元より、斬る方も斬られる側も、すべては暗黙の了解のもとにあり、「こいでよか」の一言で済んだのであろう。そのあとに音信れた何ともいえぬ静寂な空気まで私には感じられるような気がするが、ほんとうの葬式はそこからはじまったのではなかろうか。

 ここを読むと、まさに、土方は斬らざるを得ない立場にあるとしかいいようがない気がします。いろんな流派の集まった若者たちはいつ空中崩壊してもおかしくないような状態。そこをまとめるとなると、どうしても厳しさで統制せざるを得ない。そう考えると、彼は自分の中になる情を切り捨て、統制者として生きようとしているような気がするのです。

 次週予告で、「あのバカヤロウ!」と将棋盤を蹴り上げる土方。その時点で、彼は山南に対する情を出し切っているのでは?ああ、これで山南を斬らざるを得なくなった。お別れだ。なんでこんなことをした?悔しい。もっといっしょにやりたかった・・・そんな気持ちをさっさと爆発させてしまって、そして一刻も早く、統制者の顔に戻らなくては・・・。そんな気持ちでいるような気がします。