「脚本」「演出」「役者」という観点から。

ドラマにおいて「脚本」「演出」「役者」という三つの大きな要素があるとすると、この作品で一番良かったのは、「役者」かもしれない。

演技はもちろん、「ほぼ日」の永田さんが言う「単純に皆(見た目が)かっこいい」とか、スタパトークショーやTV誌での、出演者同士の仲の良さアピール、いかに皆役にハマり込んでいるかというアピールが、かなり効いたと思うんですよ。
http://bdfd.net/archives/000311.htmlより

私も同意見です。反対に言うと、「出演者同士の仲の良さアピール、いかに皆役にハマり込んでいるかというアピール」が届かなかった人には、魅力半減だったかも。

「演出」の事なんですけど、これはどう考えても失敗の部類じゃないかなあ。別にディレクターに才能がないとかじゃなく、単純に三谷脚本と相性が悪かったと思う。
同じくhttp://bdfd.net/archives/000311.htmlより

「演出」の評価は私にはできないので*1、そうなのか、「演出」が、本来持っていた良さをけっこう削いたドラマだったのか、と思いました。その、相性がいいとされる演出家との組合せで見てみたかったです。


 次に「脚本」について。
 幕末〜明治時代のダイミナズムは、まさに「井の中の蛙、大海を知り、大海に挑む」にある。そしてついに「憲法」を、「主権国家」を、「議会政治」を、「民主主義」を手に入れた。日本史上一番大きな変換点。そして、世界的にみても、キリスト教プロテスタント)無しで近代国家を作り上げた初めての国。すんごいことをやらかした*2)。
 三谷さんは、そのダイナミズムにはほとんど触れなかった(坂本龍馬の「契約」の話ぐらいか)。そこはずっぱりと切り捨て、「井の中の蛙、大海を知らず。けれど空の青さを知る」のみを書いた。青春群像劇であり、室内ドラマであり、心理戦であった。現代人から見ても心情的に入り込めるドラマになった。それはそれで良かったけど・・・
 でも、せっかく幕末を扱いながら明治維新のダイナミズムに触れないなんてもったいな〜い。新政府側の考え方、理念、その変節を描写した方が、物語に深みが増したんじゃないかと思う。
 まさに、ここの部分を追究しているのがこのサイト「水川青話」http://blog.goo.ne.jp/mithrandir9/e/f8d62286d24293112abaac245353ea3b

 やはり「大局が見えない」ってのが、今年の大河の大きな不満点だった・・・(中略)・・・大河では、将軍と幕府の動きがほとんど見えなかったから、結局は近藤が何をどうしたい人なのかがなかなかスッと入ってこなかった。・・・(中略)・・・近藤たちには分かっていない大局が、「神の視点」をもつ視聴者にきちんと伝わっていれば、どういう状況で近藤たちがいかに空回りしているのかが描けたのではないか。そしてまったくもって空回りしながらも彼らがいかにぎりぎり必死だったかっていう悲哀が、さらに強まったのではないか。

 あと、・・・日本にどういう外圧がかかっていたのかが見えなかったし、その外圧の余波として京都守護職が市中警護に浪士組を必要としたのだという関係性も、よく見えてこなかった。攘夷か開国か、そして幕府温存か倒幕かで、薩長がどう揺れ動いていたかも、全く見えてこなかった。番組冒頭の、教育テレビ的チャート図だけでは、少なくとも私の頭には入ってこなかった。

 以下、具体的な話が続くのですが、いちいち納得しながら読みました。
 私も、今回の大河は、歴史の面白さを伝えることには重きを置いていなかったのが惜しいと思います。
 私の妹は「歴史が動いているのが分かる話が好き」と言っていて、「新選組!」は、33回まで見て、「内部抗争には魅力を感じない」と見るのを止めてしまったのだけど、そんな妹にこそ、YKさんの勧める「獅子の時代」は面白いんじゃないかな、と思いました。

*1:三谷作品は「龍馬におまかせ!」しか見たことがない。そもそも、ドラマをほとんど見ないので「演出」のことをほとんど考えたことがない

*2:そいでもって、現在では「憲法」も「主権国家」も「議会政治」も「民主主義」も仮死状態なんだけど。「痛快!憲法学」小室直樹痛快!憲法学―Amazing study of constitutions & democracy