真夜中の弥次さん喜多さん③ 原作との違い

合本 真夜中の弥次さん喜多さん 小説 真夜中の弥次さん喜多さん (河出文庫)
原作との一番の違いは、原作では弥次さんと喜多さんの性格が似ているけれども、映画でははっきりキャラ分けされていることだと思う。

  • 弥次さんは江戸っ子。「表面はチャラチャラしてて、バカだねえって感じ。人の心の闇に触れようとはしないけど、それは触れたら心中するしかなくなっちゃうから。明暗陰を全部請け負って、のみ込む腹が据わってる。*1
  • 喜多さんは現代っ子の問題を抱えて登場してる。自己評価の低くてプライドが高い。自分でいっぱいいっぱいだからこそ、肯定してくれる人がいないと不安で仕方ない。自己評価が低いから自分で自分を支えられない。


だから喜多さんに感情移入しちゃうし、弥次さんに憧れてしまう。

「チャラチャラ生きてりゃチャラチャラ死ねると思って。でもチャラチャラしすぎて、喜多さんに殺されちまった。」「お前さんは勝手だ。」「ああ、勝手だ。」「お前さんは弱虫だ。」「ああ、弱虫だ。」そしてまた喜多さんと旅を続けたいと言う、馬鹿正直な弥次さん。お初は弥次さんのこんなとこが好きだったんだろうなあ。弥次さんが弱い喜多さんを丸ごと愛してるように、お初も弥次さんのダメなとこもひっくるめて、全部愛してる。「だったら私も、恨んでないよ。」あんた…いい女だよっ!
http://bdfd.net/archives/2005/05/03_1920.php*2

・・・涙出そう。ちょっとこの発想は素晴らしい。
弥次さんのように、お初のように、おっきな人間になりたい。そんで喜多さんのように、生きにくく生まれ育ってしまった人に会ったら、できるだけ愛をあげたい。ものだ。

*1:http://www.makuhari.or.jp/urbanist/1995/95_041.htmlから言葉拝借

*2:太字は拙者による