「わからない」という方法 橋本治 

「へんじゃない」ばかりを増大させた社会は人から特性を奪う。
自分の特性を忌避し、隠蔽しようとする。他の人の特性を忌避し、いじめる。

 特性は脳みそに起因してて、脳みそだからその人のせいじゃない、と思った方が、他の人の特性に寛容になれる気がしてる(ってのは自閉症の子とつき合う中で感じていること)。

「特性」は最初、単なる「へん」でしかない。
特性は、かなりの時間をかけ、ゆっくりと熟成するしかない。
そしたら、やっと有効な意味を持つようになる。「美点」になれる。



そこまでくれば、硬直して古くなった多数派の常識=「へんじゃない」をひっくり返せるかもしれない!
支点は、「特性=美点」だ。
てこは、信念だ。「へんといわれても揺るがない」信念。「へんとへんじゃないはイーヴンだ」という信念。  (かなり要約)

 よく「日本で偉人と言われる人は、みんな(悲しいことに)日本人離れしている」と言われるけど、それも当たり前だなあ。自分の特性を忌避せずに、「へん」を長い時間かけて育ててきた人なんだから。「へんじゃない集団」に決して入らなかったのだから、日本人に似ても似つかなくて当然。

もいっこ。

「わかる」を当然にした20世紀は特殊な時代だったんだよ。
そんな、万能の答えなんてないんだよ。
すべての人間は「分からない」にぶちあたる。
一度手にした「自信」はほっとけばいつか必ず「恥知らず」に変わる。
人間は挫折を必須とする生き物なのだ。


誰かがボクのことを、「いろいろやれるんですねー。多才ですねー。」って言う。
それは違う。
いろいろなことをやらざるを得なかっただけ。
「いろいろなこと」は挫折の数だ。試行錯誤の数だ。


人に挫折があるのはしょうがない。
事の必然でしかない挫折の存在を、まず認める。
所詮は「挫折」でしかないものを「挫折」に見せないための工夫と覚悟を持つ。
それだけが人を挫折の苦しみから救う。  (かなり要約)

 勇気がわく言葉だな。工夫と覚悟!


 鈍感だったら、「ハードル(挫折)」があったことすら気付かず、「恥知らず」になってしまう。
 普通だったら見つけないような「ハードル(挫折)」を、いっぱい発見してしまう人を、天才っていうんだろう。