白州正子「いまなぜ青山二郎なのか」
青山二郎が好きだ。読み返すたびのこの痛快さはなんなんだろう。今日は途中まで。特に好きな「井戸茶碗に捧げられた一節」。
吾が手に帰した喜びは
より以上の物があるだらうと云う
予想を受け付けない
大満足とは天上天下に
己一人気をやる
ことである」
「己一人」というのが、いいねえ。一人っきりだからこその興奮感と、一人で何はしゃいでるんだおいというツッコミ、を感じる。
長いときが
あゝでも無い
こうでも無いト
語り合い乍ら
総てをさばいて
呉れる」
長いこと茶碗を見つめ回しておるのかしら?それとも真の価値は時間が証明してくれるということかしら?
井戸が自分
になじむ
身うけした亭主は
茶を知らない」
「自分になじむ」うわーラブラブ!物に対する最上級の賛辞だねこりゃ。今までは茶道具として嫁に行っていた井戸茶碗が、今回の亭主は眺め回し尽くすのみ。どうなる?
古郷の山の上に
先祖の墓場がある
連れて帰って墓守の
婆にせう」
「墓守の婆にせう」うわ、嬉しい!一緒に土に還れるなんて。これも最上級の賛辞。すんごいラブレターだ、と思います。
最後にコレ。
四六時中溌剌と生きて、生活の隅々まで浸透していなければ、思想とは認められない
普通、思想とは「頭の中で小難しく考えること」だと思うけれど、そうではないと。たしかに、自分本来の性格からあまりかけ離れた思想は、生活の隅々まで浸透しないだろうな〜。
かくゆう私も、頭の中では凛として敵を作ることを恐れないサムライのような女の人のような気持ちでいます。頭の中ではそうなのですが、性格やにじみでている感じは、自分にも他人にもおおらか。うーん。このままだと単なる夢見がちな人になってしまうので、もっと議論スキルをあげて、会議とかでバリバリ言える人になりたいものです。