橋本治「人はなぜ美しいが分かるのか」まとめ

まず「感動」がある。
一時的、突発的襲撃。判断停止。思考の混乱。
その感動はのちのち、分析が必要に成るかもしれない。分析がどの程度必要かも分からない。なんで分析も何の役に立つのかも分からないのに、こんなに感動しているんだろう…という戸惑い。
今分かるのは、この感動が必要だってこと。これは自分にとって必要な感動だ! これを取り込む必要があるってことしか分からない。大づかみに取り込んでしまえ!
「美しい」とは思考停止から生まれる感情。直接的には(その時点では)なんの役にも立たない認識。他者のありようを理解すること。(合理的であろうがなかろうが)存在する他者を容認し肯定してしまう言葉。それが「美しい」。


美しいという言葉を持たない人は、それがどんなものであるのかを考えず、いきなり「これに対して自分は何をすべきか」と考える。いい女はやりたい、所有したい。欲しい花は即座にもぎ取る。自分の都合。判断に時間がかからない。
「美しい」を捨ててしまうと、一切の存在が無意味になる。存在していても「存在していない」と同じになる。この世に存在するのは「自分の都合だけを理解する自分一人」になってしまう。それでも十分生きていける。


自分の存在をつくるぞ! と旅立つ。
同一化の落とし穴に簡単にはまる。他者に影響される。他者に魅了される。他人に従属する(信仰)。
ずっとはまっていると、同一化してイケてるつもりの、オリジナリティのない自分になる。自分の存在が醜くなっていることに気づかない。
一時的には必要なものだが、努力して出ないとダメ。影響を払拭しないと。
その上で「自分の存在」ができる。


あんまり”美しい”を感じすぎると社会生活ができにくい。「美しいが分かる人」は敗者。
「世界は美しさで満ち満ちているから、好き好んで死ぬ必要はない」「”美しい”が分からない社会が壊れたってちっともかまわない」