永井均「子どものための哲学対話」まとめ

  • 生まれ(生まれつき)
    • ネクラ
      • なにか意味のあることをしたり、ほかのだれかに認めてもらわなくては、満たされない人。下品。
      • 道徳的な善悪を重視しがち。自分の外側にしかたよるものがないから。
      • ネクラな人がちゃんとした人になるにはね、なにか人生全体に対する理想のようなものが必要なんだな。そういうものをどこかから借りてきて、その理想の観点から見て、いまやっていることに意味があるんだって自分に言い聞かせなくちゃならないんだ。

    • ネアカ
      • 根が明るい人。いつも自分の中では遊んでいる人。勉強・仕事・目標のための努力・・・なぜかいつもそのこと自体が楽しい人。
      • 自分自身で満ちたりている。なにか意味のあることをしていなくても、ほかのだれにも認めてもらわなくても、ただ存在しているだけで満ちたりている。上品。
      • 未来の遊びのための準備それ自体を、現在の遊びにしちゃえる。他人のための奉仕それ自体を、自分の娯楽にしちゃうことだってできる。
      • 道徳的な善悪なんてたいして重視しない。けっこう平気で悪いとされていることができる。
  • 育ち
    • ちゃんとした人
      • 自分の未来のために自分の現在を犠牲にできる人
        • 善人:他人のために自分を犠牲にできる
        • 悪人:自分のために他人を犠牲にしちゃう
    • どうしようもないやつ
      • 自分の現在のために自分の未来を犠牲にしちゃう。ちゃんとした悪人にすらなれない。


1-8 こまっている人を助けてはいけない?

  • きみ自信が深くて重い苦しみを味わったことがあるなら、それとおなじ種類の苦しみを味わっている人だけ、きみは救うことができる可能性がある。そういう場合だけ、相手が助けてもらったことに気が付かないような助けかたができるからね。(ニーチェ


1-13 なぜ音楽評論家は必要か

  • 音楽を味わうことの専門家は、そういう好みのちがいはあっても、そういう好みのちがいが、なにを意味するのかってことに関する考えを持っていて、それを言葉で言うことができるんだよ。そこがたいせつなところなんだ。おなじ交響曲の、指揮者がだれかなんてことは、ある意味では、すごく小さなことだよ。でもね、そのちがいの中に、じつは、人間にとってほんとうにたいせつなことはなにか、っていうことについての、根本的な考えのちがいがふくまれているんだよ。・・・そのちがいを言葉で言える専門家ってものが、どうしても必要になってくるんだよ。人間がもっともっと深く、もっともっと楽しく遊べるようになっていくためには、そういう人たちの努力も必要なんだよ。


2-1 2-2 2-3 元気が出ないとき、どうしたらいいか? 原因がわかると感情は消える?

  • わすれたいのにわすれられないんじゃなくて、ほんとは、わすれたくないんじゃないかな?いやなことほど、心の中で何度も反復したくなるし、いやな感情ほど、それにひたりたくなるんだよ。わすれてしまうと、自分にとってなにか重大なものが失われてしまうような気がするのさ。
  • いいことや、楽しいことは、それ自体で満ちたりているから、わすれてしまってもぜんぜん平気なんだけど、いやなことのほうは、覚えておいて、あとで、なにかで埋め合わせをしたいと思うのさ。だから、だれかにいやなことをされたときなんか、その人に対するうらみつらみという形で、そのことを心の中に残しておきたくなっちゃうんだよ。
  • そういうときは、自分のやりかたを発明しないとね。そういうことに、自分自身のやりかたを発明するってことが、おとなになるってことなんだよ。自分に起こるいろんないやなこととか、不愉快な気分なんかを、自分の中でうまく処理する方法を身につけている人が、ほんとうの意味でのおとななんだよ。
  • いやな気持ちにひたりきることと、その原因を理解しようとすることは、逆のこと。
  • ある感情がわきおこってきた原因をよく理解すると、その感情がうすれたり、消えたりすることがあるんだよ。つまり、頭でよくよくわかってないから、いつまでも心でもやもや感じちゃうんだよ。(スピノザ
  • 例えば、どんないやなやつだって、そうならざるをえなかった必然性というものがあるんだ。どうしようもなく、そうなっちゃっているんだよ。その人はね、自分がであってきたいろんな問題を自分の中でうまく処理するためには、そういう人格をつくることがどうしても必要だったんだよ。そうでしかありえなかったんだよ。その人がそうでしかありえなかった理由が、ぜんぶすっかり理解できたなら、その人に対してきみがいだいている感情は、消えてなくなるんだ。
  • じつをいうとね、すべてを理解しつくせても、たまたまそこに自分がいたという不運の感情だけは消せないんだ。理解するってことは、そういうことはあって当然なんだって思えるようになるってことなんだけど、自分が存在しているということは、けっして当然のことではないからね。


2-5 中心への愛と、中心からの愛

  • でも、世の中の中心は、まだ世界の中心じゃないさ。世界の中心っていうのは、もっと深い、すべての意味の源であるような、そういう中心なんだよ。どんなに世の中の中心にいても、世界の中心とつながっていないって感じることはあるさ。もし、きみがだれかに対して、そういう世界の中心がそこにあるって感じたなら、それは愛だよ。
  • 自分自身に、すこしても世界の中心とつながっているっていう安心感があって、その安心感をすみっこにいるあの人にも分け与えてあげたいって感じたとすればね。それも愛だよ。


2-6 友だちは必要か

  • ぼくは友だちなんかいなくたって、ぜんぜん平気だよ。
  • ・・・いまの人間たちは、なにかまちがったことを、みんなで信じこみあっているような気がするよ。それが、いまの世の中を成り立たせるために必要な、公式の答え(世の中かが成り立つために必要な考え、「人を殺さない」とか。少なくとも受け入れたふりをしなくちゃならない。さもなくば殺されるしかない)なんだろうけどね。でも、その公式の答えは受け入れないこともできるものだってことを、わすれちゃいけないよ。
  • 自分のことをほんとうにわかってくれる人がいなくてたって生きていけるさ。それが人間が本来持っていた強さじゃないかな。ひとから理解されたり、認められたり、必要とされたりすることが、いちばんたいせつなことだっていうのは、いまの人間たちが共通に信じこまされている、まちがった信仰なんだ。
  • 人間は自分のことをわかってくれる人なんかいなくても生きていけるってことこそが、人間が学ぶべき、なによりたいせつなことなんだ。そして、友情って、本来、友だちなんかいなくても生きていける人たちのあいだにしか、成り立たないものなんじゃないかな?


2-7 いやなことをしなければならないとき

  • 人に謝るとか、頼みにくいことを頼むとか・・・
    • (1)そのことが正当なこと、すべきことであることを自分に言い聞かせる
    • (2)じゃあやろうかな、と思って、力を抜いて、ただ待っている。そうすると、すーっとやれるときがくるんだ。ふと(不意)やってみる。意図なしにふとやれる瞬間がくるのを待つんだ。なれてくると、人生全体をふと生きることができるようになってくるからね。そうなれば、しめたものさ。
  • まずは、なにか言うときに練習してみるといいね。言うときなら、ふと言ってみるときに「ふと思った」って言っちゃうことができるからね。そういうふうにして、人生全体から小さな作為を少しずつ取り去っていくんだよ。そうすると最後には、いやなことなんて、なくなっちゃうさ。