太田由希奈とジョニー・ウィアー

 フィギュアスケートには、表現とジャンプという2つのベクトルがある。
 今、便宜上、表現が好きで得意な子を「表現派」、質のいいジャンプがバンバン決まる子を「ジャンプ派」と呼ぶことにする(もちろんはっきりと分かれるわけじゃない)。


 「ジャンプ派」のいい所は、高く跳べるということだ。これはもちろん技術点に直結するし、もう少し長い目で見ると選手生命にも関わってくる。
 女子の跳躍力が人生で一番高いのは14〜15歳ごろだ。だから、その時期を過ぎてから新しいジャンプを身につけることはかなり難しい。その年代までにしっかり全てのジャンプが跳べるようにならないといけない。さらに、跳べたとしてもこの時点ですでに低空ジャンプだと将来的に回転不足になってしまい、いい成績は望めなくなる。

 ここに、2002年の全日本フィギュアを生観戦した人のHPがある(SPの様子)。http://mickeyrepo.s49.xrea.com/sport/figure_game_data/2002_12_20_3.htm 
 この時点で、表現派とジャンプ派があまりにも鮮やかに分かれているのが分かる。・・・というか、これを読んで浮かんだ話しなんだから当然だけれど(笑)。 国際大会で記録を残した選手を中心に分けてみると、表現派は太田由希奈鈴木明子、ジャンプ派は浅田真央安藤美姫中野友加里となる。



 そして一方、「表現派」は、元々踊りや演じることが好きだったり、細かな動きにこだわりがあったりする。そして、コーチに言われなくてもどんどん追求する。

 テレビで、ニューヨークのバレエ団に所属する日本人の女の人が、美しく腕を開くときの筋肉の使い方を解説していた。彼女によると、ただ腕を広げると腕から肩が一直線にならずへこんでしまい美しくない。だからバレリーナは腕を広げるとき、肩の部分は外転させ、二の腕の部分は内転させ、ひじの部分は外転させている*1。そのように筋肉を緊張させ続けているからこそ美しく見える、と。
 太田由希奈の腕が、氷上でフワンと広げただけで涙が出るほど美しかった理由に一人納得がいった。フィギュアスケーターが氷上で行う全ての姿勢、動き、その一つひとつが細かな筋肉の動きの集積だ。表現派は、言われなくても、その一つひとつをどこまでも追求していく。
 太田由希奈のドキュメンタリーを観ていたら、普通の、弟が横でこたつで寝っ転がっているような居間で、一人、長時間、鏡に向かって美しい筋肉の緊張の仕方を研究してた。彼女の演技がなぜ、リンクの上に上がった瞬間から、降りる瞬間までほとんど隙なく美しい所作なのかが分かった気がした。(半面、キスクラではけっこうリラックスしてて膝を合わせていなかったりして、そこもまた人間らしくてチャーミングなんだけれど)

 
 キムヨナもどっちかと言うと表現派だと思う。顔の表現や身のこなしに長けているし、そこにそんなに労力を注いでいるという情報は伝わっていない。多分、演じることが好きなタイプなんだろう。
 対して浅田真央は、表情の作り方はロシアのドラマを見て研究し、身のこなしはタラソワコーチにバシバシダメ出しされて一つひとつ完成度を高めていた。彼女にとって表現は、艱難辛苦の末に身につけるものなのだ。


 2007年全日本で、私はスパイラルシークエンスの手の動きに注目して観てみた。すると、ただ腕をピンと伸ばしたままの選手が多い中、2選手だけが、美しく腕をひらめかせていた。太田由希奈と、鈴木明子だ。
 2010年現在では、安藤美姫も、スパイラルシークエンス中に腕を動かしてる。でも、言い方は悪いけど、「気を張って美しく動かそうとしています」っていう感じが伝わってきてしまう。試合を経るに連れてだんだん自然にはなってきているけれど。


 鈴木明子が情念や情熱、勢いのある歯切れの良さで勝負する表現派なら、太田由希奈は繊細で優雅、に尽きる表現派だ。荒川静香以上といわれるイナバウアー、長いレイバックスピン、そんな技だけでなく全ての瞬間に隙がない。スローモーションで観てもため息がもれるほどだ。音楽にもぴったりで、まるで指揮をしているかのようだった。

 2002年に世界ジュニア選手権優勝(2003年優勝は安藤美姫、2004年優勝は浅田真央、日本快進撃の始まりだ)、2003年には四大陸選手権*2で優勝している。でも、2004年に右足首を*3故障し、幾つかのジャンプが跳べなくなり、2008年の全日本選手権を最後に引退を決めた。とても悲しかったけれど、今ではプロのアイススケーターになっている。


 だから、鈴木明子の快進撃はとても嬉しかった。今までジャンプが跳べないばかりに国際舞台に立てずに沈んでった全ての国の表現派スケーターの思いを代弁しているかのようだった。*4



 そこで唐突に話はジョニー・ウィアーの話になる。
 私は、4年来ジョニーファンだが、今ではそれ以上にフィギュアファンであるので、「つなぎがスカスカだから仕方ないよなあ」「初めて観る人には表現力があるように見えるかもしれないけど、太田由希奈ほどの手の表現力があるわけでなし、ジェレミー・アボットほどの音楽表現力があるわけでなし」「ジョニーがさぼっているあいだにライサがんばったもんなあ」とかかなり冷静にみてしまう部分があって、彼を褒めそこねてしまったのだ。
 そこで、彼を心底褒めたいと思ってこのエントリーを書いた。


ほぼ日で、2/20(土)の「今日のダーリン」で、糸井重一が、

ぼくの、いま現在のいちばんの興味は、
男子フィギュアのジョニー・ウィアー選手です。


吉本隆明 ほんとうの考え』の
「010芸術」で語られていたような「芸術」を、
この目で見たぞ、という気持ちになりましたもん。
いやぁ、いいもの見ちゃったなぁ。

とあって、なぬなぬとそれを読んでみると、

吉本 根っこと幹さえあれば、植物が自生していけるのとおなじように、その人の根っこさえあれば完成です。

糸井 ほんとうは、役者の存在そのものが、根と幹ということになるわけですね。
吉本 ほんとうに大切なのは、踊ってる人そのものです。
糸井 重要なのは、演じることじゃなくて、その人がそこにいて、存在してることの確かさですね。
吉本 それに近いような咲き方で花が咲いたら、それは芸術としては申しぶんない。
糸井 「上手下手を超えて、いいね」と言われるのはそういうところですね。

糸井 問題はテクニックじゃない。肚(はら)ですよね。肚が据わってるかどうか。

糸井 そうか‥‥人がつくった歌を歌うってことは、批評だとも言えるんですね。
吉本 そうなんです。だから、いいソプラノ歌手ほど、その人自身の、批評が入ってるんです。
糸井 そうですね。そうだなぁ。
吉本 ただ、声だけはソプラノが出るけど、たいしてほかのことは出ない人が歌うと、やっぱり、なんじゃこりゃ、となっちゃいます。
糸井 根と幹がなくなっちゃってるんですね。
吉本 ええ。それは、もっと先のことを歌ってるんじゃないかというふうになっちゃいます。

 そこで、彼の根っこと幹を考えてみることにした。

 ・・・思い出したのは、彼がスケートを始めたきっかけだ。リレハンメル五輪のテレビを観て、乙女の中の乙女な演技、オクサナ・バイウルの「白鳥」「黒鳥」を観て、「あああ素敵だなあ。ボクもやりたいなあ」って思って、やむにやまれず外に飛び出し、凍り付いたコーン畑でローラースケートで、お母さんがついにリンクに連れて行くまで、何ヶ月もスケートの真似をしていたこと。
  この話を聞いて、ああこの人はフィギュアスケートをやるために生まれてきたような人だなあと思ったのだ。普通の男子が引くだろう部分が、スタートの時点からもう大OKなのだ。ロマンチックなバレエなフィギュアスケートが心の底から好きなのだ。


 その信頼をより強くしたのが、2006年のアイスショー、「Dream on Ice」でのエピソードだ。ジョニー・ウィアーと怪我からの復帰間もない太田由希奈、という私の好きなスケーター双方が参加するアイスショーにも関わらず行くことができず個人邸に大変後悔したのだが、その時のネットにあった目撃情報だ。

ドリーム・オン・アイス2006其の参
436 :氷上の名無しさん :2006/07/18(火) 07:54:36 ID:0gtQnyNoO
ジョニが太田の演技を、身を乗り出し、目を輝かせて観ていたことを目撃したのは俺だけか?

■ ジョニー・ウィアー◇Part11 ■
72 :氷上の名無しさん :2006/07/18(火) 13:58:15 ID:lq/znSVy0
DOIスレでジョニが太田さんの演技を見ていた目撃談が出ているけど
自分も見たよ
腕組みしてじーーっと眺めてて、終わって照明が明るくなる前にダッシュで戻っていったw
太田さんの生の演技初めて見たニワカな自分も美しいスケーティングに
見惚れていたので、ジョニに気付いたのは終盤だったけど、最初から見てたのかな?
好きなタイプのスケーターだとしたら何か嬉しい

73 :氷上の名無しさん :2006/07/18(火) 14:13:22 id:m0pr6TTV0
なんとなく共通点ない?
見てても不思議じゃない

ジョニーの気になる人? 投稿者:ak-G 投稿日:2006/07/17(Mon) 22:44 No.46
 私も今日行ってきました。選手・コーチが座る関係者席の近くに座っていたのですが、ジョニーきてくれないかなっと思ってたらほんとにジョニーが現れて、さらに、私の席の近くで親友のジャスティン君が観ていて、楽しく談笑していました。
その光景に見とれて、中庭君の演技を見逃してしまいました(^^;)ジョニーは由希奈ちゃんを観に来たみたいで、
その由希奈ちゃんの演技は、「白鳥の湖」でジョニーのあこがれ、バイウルを彷彿とさせる物だったから、気に入ったのかな?(由希奈ちゃんファンでもある私には感無量です)。

そしてその2カ月後、公式HPQ&Aにて、

Q: Hi, Johnny. If you do pair skating or ice dancing, who would you like to skate with?

A: If I were a pair skater I would need someone tiny like Sasha Cohen or Mao Asada. If I were a dancer I'd like to skate with Yukina Ota, Natalia Mikhailova or Olga Orlova. I love Yukina's skating!

 国際的にはほぼ無名に近い太田由希奈。彼女に惚れなれなきゃ乙女じゃない。ジョニーには審美眼がある。この1件で心底ジョニーを信頼してしまった。


 だから(って全く論理的でも何でもないが)私の思うジョニーの根っこは、バレエで乙女なフィギュアスケートが心底好きで、そして自分の美意識を持っていて譲らないところだ。

 彼はいつだって衣裳は素敵でも、音楽の趣味は少しあれだし、「表現派」というほど卓越してもおらず、「ジャンプ派」というには4回転が本番で跳べない。それでも、その根っこがあれば信頼できる。うん。


 ほぼ日を読んで真っ先に思ったのは、そんな、ジョニーばかり褒められてもむずがゆいという気持ちだった。だって他にもいい根っこを持ちつつも、オリンピックに出れなかったり、本領を発揮できなかった選手がいっぱいるのだもの。
 でも、それは彼自身が掴んだ幸運だ。今回、オリンピックの最終グループで、気合いの入った会心の演技ができたからこそ、世界中の人に自分の根っこを伝えることができた。そんな彼は幸せ者だと思った。

*1:このあたりは正確でないかも

*2:四大陸選手権:ヨーロッパ以外の、2・3番手が集まる大会と思ってもらっていい

*3:小野伸二と同じ症状

*4:鈴木明子、オリンピックでは、SPの「リバーダンス」では、直前の四大陸選手権でついにレベル4を獲得してしまった進化したステップに注目。FSの素晴らしさは映像を見ている人にはもう言わずもがな。そしてExを昨期大好評だった「リベルタンゴ」に戻してきた。世界中の人の度肝を抜くほど素晴らしいプログラムなので、Ex圏内に残ることを祈っている